理事のご紹介


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ikuko_01【代表理事】村上 依久子 Ikuko Murakami

幼少期は「地球防衛軍ごっこ」隊長として活躍。
東京写真大学短期大学部卒業後、フォトグラファー、スタイリスト、コーディネーターとして雑誌、TV、広告制作の場で活躍。
何かを始めたら自分が納得いくまで走ってしまう性格ゆえ、家族からは周りが見えない、優先順位がわかってないとあきられている。
25歳で独立してから趣味としてスキーにはまり、国体に参加を果たす。
結婚後は家族の体験から日用品の有害性に気づいたことをきっかけに、世の中のシステムに納得できず、この世界が少しでも変わる手助けこそ使命とし、家族や仲間の真の健康と幸せ、地球を守るためにまた走りだしている。 株式会社ラボール・プラス代表取締役


Kan【理事】簡 憲幸 Noriyuki Kan

昭和29年、台湾系華僑二世として日本に生まれる。
日本大学芸術学部卒業後、コピーライター、プランナー、マーケッターとして活動し、その後、新規事業コンサルタントとして、また近年は、中国、台湾、そしてアジアを中心として活動をしている。
また文化事業、講演活動も積極的に行なっている。当NPO法人以外に4つのNPO法人の理事・監事をしている。 彩鳳会 代表、株式会社ITエイト 代表取締役、株式会社ブルーオーシャンパートナーズ 代表取締役、著書は「リーダーの教科書」(長崎出版、2006年11月)、プライベート・マガジン「簡書」(2013年3月)。


Sola1【理事】中嶋俊裕 Toshihiro Nakashima

岩手県生まれ。法政大学社会学部卒業。
科学では学年トップを取りながら、動物好きが高じて競走馬関連会社に勤務。 馬を見ながら生物の健康について思いを馳せているうちに、薬剤に頼らない、依存しない生き方の重要性を痛感。 それを伝えることを使命とするため退職。
その具体的な方法として、個人とのコミュニケーションが大切な業界である「置き薬」の世界に入る。 昭和63年、ユウキ薬品として独立。
さらに近年は、意識の変化にともない病気にはなれない感覚を体感し、こうした経験と体験をもとに、ライフスタイルと意識・精神性に重きをおき、健康推進活動を展開している。 愛称「sola」。


【理事】堀越正明 Masaaki Horikoshi

学生ボランティアとして現地を訪問した20年前当時、私には、国軍の統治体制に反対しようという気持ちは無かった。
理由のひとつは、表面的には人々は平穏な生活を送っており、都市部では治安が非常に良かったことだ。
しかも、国軍高官や行政官らと話す機会があったが、私たちが会った方たちに限れば、おおむね朗らかで国のために献身的な様子が伺えた。末端の若い兵士も、とても一生懸命で、純粋だった。
ただ、私たちが民主化に関わると、私たちを現地で受け入れた民間の方が軍に拘束され命を狙われる危険があった。そのため、現地はもとより、日本で民主化活動をされている方たちと接触できず、彼らの気持を理解する機会がなかった。
さらに、ほんのわずかでも軍の批判をすると、それだけで関係者に迷惑がかかる可能性があり、活動許可のために軍にレターを書いたり、あるいは日本国内でボランティアについて取材を受ける際にも、かなり気を遣っていた。
当時から、国軍は批判に弱く、とても気難しい一面があった
訪問前は、圧政と貧困にあえぐ国というイメージがあった。が、実際には、一般の方々は驚くほど親切で世話焼きで、心穏やかに助け合って暮らしていた。あまりのギャップに驚いた。まさに、百聞は一見に如かず、である。
行ってみなければ、会ってみなければわからないことが多すぎる、これはミャンマーから学んだことのひとつだ。
なお、当時のミャンマーへの印象と現実のギャップは、高野秀行さんの、こちらの本がわかりやすい。


【理事】天野 保 Tamotsu Amano

子供の頃から機械に興味あったようで、親が帰宅すると家の電気製品が次々と分解されていた。
社会人になって最初の仕事はTOYOTAの整備士。
その後、収入面で無難な生活(大手保険会社)を選び転職すると、順調以上に昇格。
しかし、人生、安定した生活をして、その先に何があるんだろうと思い、56歳で突然会社を辞める。
「人は生まれてきたら必ず何か使命がある」と、強く思い始めていた頃、NPO BeLightに出会う。
常に新しい日本の未来のことを考えている。


【理事】横田一郎 Ichiro Yokota

自分の履歴をあらためて考えると、なんといっても、幼少期から極端な人見知りであったこと、そのために人の中に入っていくのが苦手、これが、以降大きなバイアスとなっていたことがわかります。
この人見知りは、小学校に進学すると、登校拒否に変わり、当然成績は低迷し、悪循環のスパイラル。中学校の進路相談では、職業専門学校にでも行って早めに就職すべきだとの指導を受けました。
まあ、親が、せめて高校ぐらいは、との計らいで進学はさせてくれました。
進学した高校が、幸い自由な校風で、そんな自分を受け入れてくれる先生方に恵まれたのは救いでした。
実は、私は幼少期から、なぜか飛行機が好きで、いきなり紙や木材であらゆる形の飛行機を試作、しかし、失敗の山。
実機を参考に試行錯誤の繰り返し、速度を早くする、遅くする、また失速させないためにどうすれば良いかなど、条件を変えて実験を繰り返しました(重心位置は主翼前縁から33%くらいだとわかるまでに随分時間がかかりました)。
さて、高校2年のある日、朝永振一郎だったと思いますが、彼が数学ではなく物理学を選んだ理由についての自伝を読みました。当時の拙い理解であったとは思いますが、自然界の現象を、数字や数式で説明する数学と、多方面から追求する物理学との違いについて理解しました。
幼い頃から、いろいろな実験を繰り返していると、複雑な現象の中に一定の法則が存在する事を感じます。つまり事前の条件を変えて、変化する結果が出た場合、それを記録、説明する事の必要性を痛感していました。学校では退屈な、関数や微積分が自分の実験結果を客観的に認知し、さらに進展させるための道具として必須であることをこの時悟りました。
この大きな転機を境に、理科系に進学することを希望しましたが、やはり幼少期からきちんと勉強してきた人たちには敵いません。
さて、20歳の時、ひょんな出会いから(今にしてみれば必然ですが)理科系志望を翻し、法学部進学を決めました。
一般的に見れば法律学は、経済学などと同様、文科系に属します。
しかし私は理科系、科学が好きでした。社会科学という言葉もある通り、科学というからには自然の摂理を対象とした普遍的なものでなければなりません。
この点から、民法学に大きな魅力を感じたのです。
民法の根源的な理念は、人の本来あるべき自由をいかに実現するかにあります。法に持たせた強制力は、人の自由を実現するためのみに作用すべきであること。その理念から法体系を構築すべきであり、自然科学と同様、客観性と普遍性を基盤としなければならないと確信しました。
結局、思う存分、いろいろな実験、特に本質的な原理の探求ですが、自分流の研究をさせてもらいました。気がついたら博士課程まで嫌いな学校にお付き合いする羽目になってしまいました。
その後、残念ながら、民法の構造論という発想は、ほとんど学問として認知されておらず、継続することは不可能でした。私の実験結果は、評価されることはありませんでした。
満期退学を期に、次世代にバトンを預け、今はめでたく学校という枠から足を洗い、税理士登録をして現在に至っている次第です。

【履歴・職歴】
中央大学法学部法律学科卒業。
東洋大学大学院法学研究科私法専攻、後期博士課程満期退学。
現在、税理士法人 横田税務会計事務所代表社員税理士

ビ・ライトのメンバーの皆さんの、この世の中の矛盾や問題点に目を向け、愛と自由に満ちに満ちた世の中を実現するための活動のお手伝いが出来ればればと考えております。
「人の本来あるべき自由をいかに実現するか」という学んだ事が手助けになれば幸いです。


池川明先生

【相談役】池川 明 先生 Akira Ikegawa

池川クリニック院長 医学博士。
帝京大学医学部大学院卒、上尾中央総合病院産婦人科部長を経て、池川クリニックを開院。1999年より「胎内記憶」に関する研究を始め、国内外の第一人者として知られる。その成果を医療の現場に活かし、母と子の立場に立ったお産と医療を実践。「胎内記憶」「経皮毒」などをテーマにした講演会・セミナー、年間数十本。『胎内記憶』『ママのおなかをえらんできたよ。』『子どもは親を選んで生まれてくる』など著書多数。


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【相談役】川島 邦夫 先生 Kunio Kawashima

獣医学博士。日本大学農獣医学部卒業後、国立医薬品食品衛生研究所で安全性生物試験研究センターの毒性部室長や生物試験部部長を歴任。この間に、医薬品や食品添加物等の有効性・安全性に関する研究や環境ホルモンについての研究に従事し、化学物質の生殖機能への影響に関する研究をライフワークとしている。 行政面では、残留農薬安全性評価委員・中央薬事審議会臨時委員として農薬および医薬品の申請審査業務に従事。 現在は生殖毒性評価コンサルタントとして、若手研究者の指導にあたっている。